遊星からの探索者Xくブログ

遊星からの探索者X

クトゥルフ神話TRPGライフをより楽しむための色々紹介ブログ

「クマとたぬき」騒動からみるクリエイターとファンの立場

ぼちぼちTwitterを始めているが、さっそく気になる話題を発見した。二次創作であった作品が、一次創作として出版される事に関する是非だ。

 

結論から言うと法的問題をクリアしていればとやかく言う事ではないのだが、色々思う点があるので雑記としてまとめてみる。

------------------------------------------

 

話題となった作品「クマとたぬき」(の宣伝)

www.pixiv.net

第一印象は「可愛い」

 

騒動となる経緯

元々は刀剣乱舞という作品に登場するキャラクターを擬獣化した、二次創作の絵本だった。しかし刀剣要素が薄くなったため、一次創作として扱うことを作者は明言している(2017年10月頃)。

togetter.com

著者である帆氏のツイートがまとめられている

 

そして2018年6月に出版されることが判明した。従来のファンの中で「裏切られた!」と感じた人が問題提起したことで、Togetterには多くのコメントがついている。

togetter.com否定派のまとめ

 

togetter.com

擁護派のまとめ

 

ぱっと一通り読んでみたが、ファンの立場、クリエイターの立場、その他大勢の立場が痛いほど理解できた。さすがに全部理解したとは言わないが、双方の立場に立ったことがある者なら、多少なりとも彼らの気持ちが理解できるのではないだろうか?

 

以下の文は完全に私個人の解釈であることを明記しておく。

あと私は刀剣乱舞も「クマとたぬき」も知らなかったので、100%紛れもない外野の野次であることも明記しておく。

 

私がファンの立場であった頃の話

私がクトゥルフ神話TRPGの魅力に惹かれた一因が、2012年にニコニコ動画で登場したクトゥルフ神話TRPGリプレイ動画「ゆっくり妖夢と本当はこわいクトゥルフ神話」である。前半はTPRGのリプレイ風で大好きな動画であった。

 

後半は独自路線に移ったのでTRPGのリプレイではなくなってしまったが、1年かけて無事完走を果たした。

 

【ゆっくり実況】ゆっくり妖夢と本当はこわいクトゥルフ神話Part1 - ニコニコ動画

動画は投稿者である朝霧カフカ氏によって削除されている

 

しかしその後すぐに、漫画化が発表され版権キャラのガワ変え、元となった動画は順次削除という経緯をたどる。

 

当時のファンの反発は凄まじいものであった。作者の言動が逐一批判され、版権キャラの中途半端なガワ変えが批判され、金儲けに走ったなどと批判され、漫画自体も批判にさらされた。

 

早急な漫画化は誰の目に見ても明らかな失敗であった。

 

かく言う私も「面白い作品だったのに金儲けに走ったのか」と悲しく思い、漫画への興味は完全に失せていた。ただ友人の一人はその漫画を購入し楽しく読んだそうで、漫画にした価値はあったのだろう。

www.cmoa.jp

残念ながら3巻で打ち切られてしまったようだ

 

今思うと、当時の自分の消費者根性は褒められたものではない。権利が侵害されたわけでもなく、何の金銭も支払わなかった私自身が放つ文句など、便所の落書き以外の何物でもない。

 

私はROM派だったので、誰も傷つけずにこの話題から去れたのは幸いであったと思う。

 

次は私がクリエイター側の立場になった時の話をしよう。

 

初めは誰でも「模倣」

何か価値のある作品を創造しようと試みた者なら知っているだろうが、世の中の作品の99%は模倣から始まっている。

 

「クマとたぬき」は「刀剣乱舞」の模倣からだし、「刀剣乱舞」は「艦これ」の模倣からだ。私自身、TRPGのシナリオを作成する際は、まず下敷きとなる作品の模倣から始めている。

 

世の中の作品には模倣が溢れており、その点に異議を唱える者はいないだろう。

 

「模倣」からオリジナルへ

最初は1つ2つの作品を模倣したシナリオを作成していたが、次第に模倣元の作品が3、4、5…と増え、経験や知識を重ねていく度に、いくつ模倣したかわからないレベルになっていた。

 

ここでいう模倣とは、キャラクターや名称のことだけではない。物語の設定1つ1つ、場面カットの1つ1つを様々な作品から模倣して、結果的に自分が描きたい物語を構築していったのだ。つまり私自身の知識と経験、センス(良し悪しは別として)が、模倣にすぎなかった作品を「自分が思い描いた作品」へと昇華させたのだ。

 

これが「オリジナル」の正体だと知ったのは、世に溢れるオリジナル作品と自らが作った作品を見比べた時である。改変しすぎて別物だこれ。

 

セッションで使う探索者もそうだ。最初は版権キャラをそのまま真似していたが、経験を経たり性格が変わったりと、次第に自分にしか扱えないキャラクターへと変貌し、版権キャラを被ったオリジナルキャラクターとなっていた。

 

クリエイターにとっては、価値が付くことこそが本懐

私の場合は完全な趣味でTRPGのシナリオを作っており、プレイヤーの「面白かった」という感想を得ることで価値を見出していた。

 

しかしクリエイターは欲が深いもので、モチベーションを維持するためにも更なる価値を求めるものだ。私にとってはこのブログが正にそうである。シナリオを公開したり参考になる映画を紹介することで、記事を見た人が一人でも参考にすれば、新たな価値が付いたことになる。

 

そして誰が見てもわかるはっきりとした価値は「金」だ。商業的な商品となって売ることができれば、万人が認める「大いなる価値」に他ならない。クリエイターが同人から商業へと移行することは、至極真っ当なプロセスだと私個人は考えている。卑しいと思うファンも当然いるだろう。しかし、欲無くしてクリエイターは続けられないのだ。

 

作品をとるか、二次創作をとるか

二次創作から始めたクリエイターにとって悩ましいのが、商業化における版権問題である。模倣からオリジナルへ昇華した作品はいわば「我が子」のようなものである。

 

我が子に新しい価値を付けたい、模倣作品ではなく、オリジナル作品として世に残したい。しかしそのためには、二次創作の要素を排除しなければならない。どちらを選ぶかはクリエイター次第であり、今回の「クマとたぬき」は前者をとったのである。

 

クリエイターとファンのすれ違い

なぜファンは二次創作から一次創作への移行を「裏切られた」「金儲けに走った」と感じるのか?

 

それはクリエイターとファンにとって「我が子」の定義が異なるからだ。

 

ファンはクリエイターが生み出した二次創作の作品が好きになると、まるで「我が子」を愛するようにその作品に愛情を注ぐ。この作品に価値があると肯定し、永遠に残してほしいと思っている。

 

しかしクリエイターにとっては二次創作の作品は「我が子」ではない。「我が子」は模倣の果てに昇華した「オリジナル」の方なのだ。

 

クリエイターが「我が子」から二次創作要素をそぎ落とし、オリジナル作品として正装改め世に出す行為は、ファンにとっては「我が子」が叩いて砕いて壊わされて、クリエイターの金儲けの道具に利用される末路を辿ったように見える。

 

どちらも否定できない、人間としての業

クリエイターが「オリジナルに昇華された作品を世に出し価値を見出したい」という感情は正しい。ファンが「愛すべき作品が殺され、別物として価値がつけられる事が許せない」と感じる感情も正しい。言い換えればクリエイターは強欲の塊で、ファンは嫉妬深い。

 

しかし醜いと思う必要はない。人間として至極真っ当な感情だ。

 

クリエイターにできることは、せめてオリジナル作品をより価値あるものに仕上げることだし、ファンにできることは、殺された作品に思いをはせるしかない。ファンを続けるか止めるかは自由だ。

 

解決するには「法」しかない

双方がどうしても相いれない場合、この国では「法」に従って決着をつける。そして「クマとたぬき」は、この記事の執筆時点で法的問題は存在せず、この作品が世に出ることを誰も否定できないのだ。決着はついている。

 

しかし「法」ですら一つではない。いわゆる「村ルール」で出版を止めたり道義的責任を問う人もいる。彼らは彼ら自身の「法」で決着をつけたいのだ。

 

その是非をここでは問わないが、今回の炎上で激しくバトルを繰り広げているのは「村ルールに従う一部のファン」VS「国ルールに従う第三者」のように見える。宗教戦争と同じく、悲しいかな、手を取り合って仲良く決着する未来は見えない。

 

法で決着をつけようとする以上、片方が負けを認めなければならないが、信じるルールが敗北するなど誰だって嫌に違いない。だから永遠に続くよ何処までも。

 

世のクリエイターよ、頑張れ!

長文でなんやかんや記しても、結局は私個人の解釈に過ぎない。上記に全く当てはまらないクリエイターやファンも幾万と存在するだろう。私も他の野次と同じく言いたい事を言ってるだけなのだ。だから最後も言いたい事を言って〆にする。

 

商業化に成功したクリエイターを尊敬してるぞ!

 

あと嫉妬もしてるぞ!

 

私のような小さな価値しか生み出していないクリエイターのみんな!

 

これからも夢見て頑張ろうな!